子どもの探究学習
地図を広げる、伴走のこと
夏休みが終わって、周りも少しずつ動き始める9月。
この時期って、なんだかそわそわしませんか。
子どもはいつもとそんなに変わらず過ごしているのに、
「このままでいいのかな」、「そろそろ何か始めたほうがいいんじゃないかな」ということを、大人のほうが考え始める。
勉強のことだったり、生活リズムだったり。
何かひとつでも動き始めたら、ちょっと安心できる気がして、「こんなのやってみたら?」「少しだけ行ってみたら?」と、つい背中を押したくなる。
まあ、子どもをおもってのことです。だから、まだ起きてもいないことまで心配してしまう。
私もこの夏、そのような「よかれと思って」というこを、ひとつやってしまいました。
この夏、息子がアイススケートにはまっています。
そうはいっても、まだ上手に滑れるわけではありません。
よちよち進んで、バランスを崩して、また立て直して。
そんな感じなんですが、本人はめちゃくちゃ楽しそうです。
放っておいたら、閉館までずっと滑っています。
通い始めて数回目のある日、リンクの脇で初心者向けの無料講座が始まりました。
それを見た私は、「お、これはいい!」と思いました。
教えてもらったらもっと上手になるし、上手になったらもっと楽しくなるだろう、と。
本人のためにもなるよなあ、と普通に思ったいたのです。
それでは、「やってみる?」と聞いてみたら、息子はあんまり乗り気じゃない。
ここでやめておけばよかったんですが、「絶対もっとうまくなるよー!」「やってみたら楽しいかもしれないし」と、けっこう押しました。
息子、半ば強引に参加。
結果、テンションはだだ下がりでした。途中で講座を抜けて、いつもなら閉館まで滑っているのに、「もうやめる」と、その日は早々に終了。
……やってしまった。
帰り道、嫌がっていたのに無理に参加させてしまったな、と反省しました。ただ、少し引っかかるものもありました。子どもの背中を押すこと自体が、悪いとは思わないのです。トーカでも、「一緒にやってみよう」「少しだけ参加してみない?」と声をかけることがあります。一度「嫌」と言ったら、その先は何も勧めません、というのもちょっと違う気がする。ちょっと背中を押したことで、「やってみたら意外と楽しかった」となることだってあります。じゃあ、今回の何が引っかかったんだろう。そんなことを考えていたとき、二つの言葉がヒントになりました。
一つ目は、哲学者の谷川嘉浩さんが書いている「衝動」という考え方です。『理由はうまく説明できないけれど、なぜかやってしまう。』その言葉を読んでいて、氷の上をよちよち滑っている息子の姿を思い出しました。
私は、「こんなに好きなんだから、もっと上手になりたいはず」と思っていたんですよね。でも、本当にそうだったんだろうか。別に上手になりたかったわけじゃなくて、ただ滑っていることそのものが楽しかったのかもしれない。よちよちでもいいし、同じところを何周していてもいい。本人は、それで十分だったのかもしれません。私は息子の「なんか好き」を、いつの間にか「もっと上手になりたい」に変換していました。
もう一つは、加藤諦三さんの『親が与えている愛 子どもが求めている愛』を読んでいたときに考えたことです。
『親が「この子のため」と思って与えたいものと、その子が求めているものは、本当に同じなんだろうか。』
スケートの初心者講座は、私から見れば「良い経験」でした。でも、それは息子が欲しかった経験というより、私が「これは経験してほしい」と思っていたものだったのかもしれません。
そこまで考えて、ああ、たぶんこれか、と。私は息子のことを考えていたつもりだったけれど、「今、息子が何を感じているか」よりも、「これをやったら、きっとあとで良かったと思う」という、自分の見通しのほうを見ていました。初心者講座を紹介したことまで、間違いだったとは思っていません。知らなかったものを見せたり、「こんなのもあるよ」と伝えたりするのは、大人にできることのひとつだと思います。ときには背中を押すことだってある。ただ、あの日の私は、その前に息子の様子をちゃんと見ていなかった。
今、何が楽しいんだろう。何が嫌なんだろう。講座に参加することを、本人はどう感じているんだろう。そこをすっ飛ばして、「こっちのほうが絶対いいよ」と進めてしまった。引っかかっていたのはそこでした。
大人は、子どもの前にいろんな地図を広げます。「こんな世界もあるよ」「こういうやり方もあるよ」
知らなかった道を見せることはできる。でも、地図を広げたあと、どこを見るかまで大人が決めなくてもいいのかもしれません。ちょっと興味がありそうなのか。やりたそうだけど、不安そうなのか。そもそも今は、全然別のものを見ているのか。「嫌」と言われたときも、すぐに全部引っ込めるというより、「何が嫌なんだろう」と少し聞いてみる。で、今じゃなさそうなら、いったん畳む。必要になったら、また出せばいい。
トーカでは、外へ出たり、ものをつくったり、いろんな人と会ったり、子どもたちが何かに出会う入口をたくさんつくっています。声をかけたらすぐ参加する子もいれば、ちょっと離れたところからずっと見ている子もいます。やってみて、「やっぱり違った」と抜けることも普通にあります。参加しなかったから、何も起きていないわけでもないんですよね。ずっと見ている子もいる。
同じことを何回も繰り返している子もいる。しばらく何もしていないように見えたのに、ある日いきなり自分から動くこともあります。なので、私たちも「今日は何をやったか」だけでは見ないようにしています。
その子が何を見ていたのか。どこで表情が変わったのか。何を何度も繰り返しているのか。
そのあたりも含めて見ています。
とはいえ、声をかけたほうがいいのか。今日は待ったほうがいいのか。ちょっと押してみるのか。いや、今は引いたほうがよさそうか…。そのへんは、普通に迷います。昨日は声をかけてよかったのに、今日は違う、なんてこともある。子どもはずっと同じ状態ではないので、こちらも「これが正解」と決めきれません。
違ったな、と思ったら、また考え直すということを大切に行動しています。
9月になると、子どもに何かさせたくなる気持ちは、やっぱり出てくると思います。私も出ます。
そんなとき、「何をさせようかな」と考える前に、この子はいま、何が楽しいんだろう。何が嫌なんだろう。
自分が今出そうとしている地図を、本人は見たがっているんだろうか。そんなことを、一回考えてみてもいいのかなと思っています。考えた結果、「いや、ちょっと押してみよう」となることもあるでしょうし、「今日はやめとくか」となることもある。そのくらいでいいのかもしれません。私もまた、たぶん何度か「よかれと思って」でやらかします。そのたびに、「あ、また主語が自分になってたかも」と考え直す。そうやって、大人も子どもと一緒に地図を眺めながら、ときどき描き直していけたらいいなと思っています。
学習航海者になろう!

