『タツキ先生は甘すぎる!』第1話を見て、フリースクール運営者として思ったこと(ネタバレ含む)

第1話を見終えて、まず率直に思ったのは、このドラマはただ優しい先生の話を描こうとしているのではなく、今の日本で確実に大きくなっているテーマを、真正面から扱おうとしているんだなということでした。
ほかの方の反応を見ていても、第1話に対する世の中の受け止め方はかなり大きく二つに分かれているように見えます。
一つは、「こんなふうに子どもの気持ちを丸ごと受け止めてくれる大人がいてくれたら救われる」「あの優しさに泣いた」という声。タツキ先生のどこまでも寄り添う姿や、子どもの小さな発信を見逃さない姿勢に共感する声があるようです。

でも、もう一つの反応もすごくよく分かります。
「いや、現実はそんなに簡単じゃない」「優しいのはいいけれど、少し理想化されすぎて見える」「保護者の不安や葛藤が置いていかれていないか」という違和感です。公開されている感想の中にも、タツキ先生の言葉は救いとして響く一方で、親の現実的な怖さや、支援の泥くささが薄まって見えるという感想もあるようです。

私はフリースクールを運営する立場として、この賛否が割れる感じ自体が、むしろ第1話のリアルな価値だなぁと。
なぜなら現場は、もともと「これが正解!!」と一言で言えない世界だからです。
今はこの件については、特殊な家庭や一部の子どもの話ではなく、もう社会全体で起こっている現象だからです。だからこそ、ドラマを見た人たちの中に救われたという人と、いや~そんなに甘くないぜぇ~という人が同時にいることのほうが、むしろ自然です。
賛否が分かれるのは、私たち大人が、学校に行くのが正解・休むのは甘え、という強固な正解主義の中で生きてきて、そこから抜け出すことに恐怖を感じている証拠なのかもしれません。

第1話で特によかったのは、子どもが学校に行けない理由そのものより、その理由をいちばん身近な大人にさえ言えない苦しさを描いていたことです。
あやかは母の期待や勉強への不安の中で、「ここでは楽しいと思うことだけやろう」と言われて、少しずつ気持ちを出し始める構図になっています。放送後の反応でも、「お母さんを悲しませたくなくて本音が言えない感じが痛いほど分かる」という共感が多くあったように思います。ここは、かなり本質を突いていたかなぁと。子どもが苦しいのは、学校そのものだけではなく、苦しいと言えない関係性・・・を感じているときだからです。

一方で、フリースクール運営者としては、少し補っておきたいこともあります。
ドラマでは強い言葉が印象的に使われましたが、現実の支援は、たった一言で何かが解決するほど単純ではありません。監修の石井しこうさんも、関連する発信の中で、「不登校支援に必要なのは“名教師”や“魔法の言葉”ではなく、地味だけれど本当に必要な支援」と述べています。また、フリースクールの現場が大切にしているのは、成績や生活改善を先に求めるのではなく、ここに居ていいという安心感を先に整える順番だとも説明しています。私はこの視点こそ、第1話をいちばん深く読む鍵だと思います。

つまり、タツキ先生の甘さは、ただの放任ではないはずです。
本当は、今すぐ正そうとしない勇気のことかと。
親も先生も、子どもが苦しんでいると、早く元に戻したくなる。勉強、生活リズム、進路、友人関係、全部気になる。でも、心がすり減っている子に対して先に正しさを入れようとすると、本人はますます心を閉ざしてしまうのです。
私たち学び舎トーカでも、何でも自由にさせることではなく、安心のあとに、関係が生まれ、その先に学びや意欲が戻ってくる順番を守ることだと、私は思っています。子どもたちには、休息期・葛藤期・活動期という段階があり、第1話のあやかちゃんはまさにエネルギーが枯渇した状態。ここで正しさを押し付けるのは、骨折している人に走れと言うようなものです。

ただ、だからこそ次回以降に期待したいのは、支援の美しさだけでなく、支援の難しさも描いてくれたらなぁということです。
保護者の焦り、学校との連携の難しさ、スタッフ側の迷い、子どもが元気になったり沈んだりを繰り返す長い時間。
現場は、もっと揺れます。もっと遠回りです。それをリアルに描きすぎるとエンターテインメント性に欠けてしまうと思うので、いいバランスになるといいなぁ~
第1話は、その入口としてはかなり良かった。でも、もしこの先ずっとタツキ先生の一言でみんな少しずつ良くなる物語になるなら、フリースクールの理解としては浅くなる。逆に、関わる大人たちも迷い、ぶつかり、待つことのしんどさまで描いてくれたら、このドラマはかなり大きな意味を持つと思います。
楽しみにしています~

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